女性が命がけで築いた「女人堤防」伝承 三重県鈴鹿市で10月20日に無料上演

 鈴鹿川沿いの米どころ、三重県鈴鹿市汲川原(くみがわら)町には、今から200年ほど前の江戸時代後期、水害を防ぐため女性たちが、命がけで築いた堤防の伝承が残っている。「女人(にょにん)堤防」と呼ばれ、この伝承を基にした劇「そこに在るは椿(つばき)」が10月20日午後零時半から、地元の庄野小学校体育館で上演される。入場無料。

 汲川原は東海道五十三次の一つ、庄野宿に隣接する。宿場町が開かれて400年を迎えたのを記念。地元の住民組織「庄野地区まちづくり協議会」が、女人堤防の伝承を脚色した劇を上演することにした。劇の主人公は、度重なる鈴鹿川水系のはん濫による水害に苦しめられてきた住民たち。一帯を治める神戸藩に堤防建設を願い出るが、却下されたことから、打ち首を覚悟で工事に着手。「男たちが死罪になると村の運営ができない」と、若い「きく」を中心に女性200人余りが藩に無断で夜間、工事を進め、堤防を完成させた。女性たちが処刑される寸前、藩の上層部からの知らせで命が助かる。庄野地区の住民と劇団花さつきのメンバーら20人が半年近く練習を重ねてきた。12日夜には最後の練習に励み、本番では農民や庄屋、藩主の本多氏、家老の松野氏らにふんし、1時間ほど演じる。

 堤防は、当時の汲川原村や田んぼに、あふれた水が流れ込まないように造られ、現在の「輪中(わじゅう)堤」のような構造。水は、堤防でさえぎられて支流の芥(あくた)川に流れる仕組み。現地には66年前、当時の田中覚知事が揮ごうして女人堤防のいわれを刻んだ石碑が建てられている。地元の人らによると、住民によって堤防が造られたこと、藩主から金が贈られたことなどが史実というが、脚色されて伝わっていることもあるという。堤防跡では、完成記念に植えたとされるツバキが今も栽培され、これにちなみ劇名は「そこに在るは椿」にした。(酒井直樹)

女人堤防を築いた女性たちを演じるメンバー

 

藩主の本多氏㊨と家老の松野氏

現地に残る女人堤防の石碑

女人堤防の構造(現在地は石碑がある場所)

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