三重県鈴鹿市の古墳「富士山1号墳」からふき石が出土 約1500年前に並べられた状態が残る 

 三重県鈴鹿市国分町の「富士山(ふじやま)1号墳」で昨年、市が発掘調査をすると、古墳が築かれた約1500年前の状態で、ふき石が見つかった。長い年月がたって崩れたり、持ち去られたりするケースが多いが、整然と石が並んでいた。3月22日から地元の考古博物館で始まる「速報展 発掘された鈴鹿」で紹介する。6月15日まで。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: RIMG9140-599x1024.jpg

 市は4年前から発掘を進めており、これまでの調査で全長54㍍のホタテ貝の形をした前方後円墳であることが判明している。鈴鹿亀山地方では大きめのサイズで、5世紀後半に築かれたとみられる。世界的にも巨大な前方後円墳の天皇陵が次々と近畿地方で造られていた「倭(わ)の五王」時代終わりごろに当たり、富士山1号墳も周囲に幅5㍍の堀「周濠(しゅうごう)」を巡らせていたことも分かっている。

【富士山1号墳の全景。ふき石は写真手前の前方部と、奥の後円部が接する辺りから出土した】

 昨年8~12月の調査では長さ約4㍍にわたって石が直線状に並べられ、周囲には石が整然と敷かれていた。こうしたふき石は、古墳の立派な外観を演出し、雨で盛り土が流出するのを防ぐ。直線状の石について、市の担当者は「(築造に携わった人たちの)担当する工事区を示す可能性もある」とみる。過去の発掘でも、斜面に敷かれたふき石が発見されているが、崩れた状態だった。石は、にぎりこぶしから人の頭ぐらいの大きさで、近くの四日市市の内部川から運んだことも考えられるという。

 古墳一帯は地元自治会の管理地。かつては竹やぶになっていたが、2020年の冬場、古墳を地域おこしに活用しようと住民総出で伐採した。自治会が説明板を設置したり、墳丘が雑草で覆われないよう除草したりしており、市は国庫補助事業として独自の学術調査を続けている。国分(こくぶ)地区は、今の天皇家につながる古代豪族・大鹿(おおか)氏の本拠地だったとの説がある。近くには奈良時代の国史跡「伊勢国分(こくぶん)寺」跡もあり、古代、重要な地域だった。(酒井直樹)

#古墳 #葺石 #倭の五王 #前方後円墳 #国史跡 #国分寺跡

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です