奈良時代の聖武天皇ゆかりだったり、源平合戦にちなんだり、古代の歴史に関連する伝承があるサクラが、今春も三重県鈴鹿市で開花した。「花の名所」ではないため、訪れる人は多くなく、ひっそりと咲いて散った。
聖武天皇ゆかり

奈良時代の天平12(740)年、聖武(しょうむ)天皇が突然、伊勢の国に赴き、三重県鈴鹿市国分町を訪れた時、植えたとの言い伝えが残り、地元では「王城(おうじょう)桜」と呼ばれている。墓地に生え、根元が直径6㍍余りの古木。ヤマザクラの一種らしく、4月初めには、若葉と同時に小ぶりの花をいっぱい付けた。

聖武天皇といえば、天平13(741)年に地域ごとに国分寺を建立するよう命じ、王城桜のすぐ近くには、国史跡「伊勢国分寺跡」もある。当時の平城京(奈良市)から三重の北部を通り、紫香楽宮(しがらきのみや、滋賀県甲賀市信楽町)などに遷都して5年間、各地を転々とした「彷徨(ほうこう)5年」は、よく知られた史実。しかし「天皇は桜が好きで、お手植えした」という王城桜の由来はあくまで伝承だ。樹齢は1300年近くになるが、「桜は幹が枯れても、根元から新芽(ひこばえ)が出て、世代をつないでいく」という。地元の国分町は遺跡の密度が濃い地域で、王城桜付近には大鹿廃寺跡(南浦遺跡)のものとみられる白鳳時代の瓦の破片も散乱している。

源平合戦にちなむ
鈴鹿市上野町では6日、「石薬師の蒲ザクラ」が満開となった。赤紫の葉と、純白の花が同時に観察できる。ヤマザクラの変種で県の天然記念物にも指定されている。住宅街に2株が生え、「今年もきれいに咲いてくれた」と地元の人。

「蒲(かば)の冠者(かじゃ)」と呼ばれた源範頼(のりより)にちなむ。鎌倉幕府を開いた源頼朝の弟、能や歌舞伎でも知られる源義経の兄にあたる人物。木曽義仲や平家を追討するため、この地を通り、戦勝を祈願するため、地面に差した桜の枝が大きく育ったとの伝承が残る。約60㍍離れた場所に、範頼を祭る神社「御曹司(おんぞうし)社」があり、今春は、ちょうど春祭りと満開が重なった。

江戸時代の歌川広重が浮世絵に描くなどして、その絵に触発されたオランダの画家ゴッホが「タンギー爺さん」に取り入れていることでも有名だ。
言い伝えが多く残る
鈴鹿市寺家(じけ)にある「子安観音」の国天然記念物「白子不断ザクラ」にも、言い伝えが残る。奈良時代の万葉集が編さんされた頃、落雷で寺が焼失、焼け跡から芽生えたとされ、能の演目「不断桜」にもなっている。

【冬に小ぶりの花を付ける白子不断ザクラ】
津市芸濃(げいのう)町の県天然記念物「長徳寺の龍王桜」は、近くに住む竜が天に昇る時、残していったとの伝説がある。奈良時代の聖武天皇に献上されたとの言い伝えが残る伊賀市予野(よの)の「花垣の八重桜」。江戸時代、地元出身の俳人、松尾芭蕉が晩年、「一里はみな花守の子孫かや」とも詠んだ。
桜は変種が多く、さまざまな品種があって、春の訪れを告げる花がよく目立つ。このため、歴史に関連する伝承になりやすく、その伝説も地域ごとに変化に富んでいる。(酒井直樹)
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