三重県鈴鹿市木田町にある弥生時代の大集落跡「磐城山(ばんじょうざん)遺跡」で、亡くなった人を葬った「方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)」が、市の発掘調査で初めて見つかった。1997 (平成9)年から市が断続的に20回近く発掘したが、これまで集落跡につきものの墓の跡は出土していなかった。調査結果は、鈴鹿市国分町の考古博物館で6月15日まで開催中の速報展「発掘された鈴鹿」で公開している。

【初めて見つかった「方形周溝墓」】
現地は、古代の遺跡が多い鈴鹿川左岸の標高約40㍍の河岸段丘上で、市内が一望できる高台。過去の発掘調査で弥生時代後期を中心に竪穴(たてあな)式住居跡が続々と発見され、現在、計300以上に上り、大きな集落だったことが分かってきた。邪馬台国(やまたいこく)の女王、卑弥呼(ひみこ)が登場する前、地域ごとが争っていた「倭国(わこく)大乱」の時期に当たる。
これまで土の焼け跡が残るかまどや、生活道具の土器などが発見されたが、集落に併設される墓は出土していなかった。今年1月まで行った発掘調査で、10棟以上の住居跡のほか、「方形周溝墓」2基が初めて出土した。浅い堀を巡らした一辺が約5㍍の正方形をしており、当時、多く造られた一般的な墓の形状。2025年度も隣接する場所を調査する予定で、担当者は集落の墓域が見つかる可能性があるとみている。

【磐城山遺跡から出土したつぼなどの生活用品。考古博物館での速報展で展示されている=鈴鹿市国分町の考古博物館で】

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