座像の裏に江戸時代の年号 住職が偶然、見つける 三重県鈴鹿市神戸の観音寺

 三重県鈴鹿市神戸の観音寺(かんおんじ)が所蔵する大きな「極楽絵図」=写真㊦。奈良県葛城市にある同じ浄土宗の当麻寺(たいまでら)の国宝「当麻曼荼羅(たいままんだら)」を忠実に模したものとされ、当麻曼荼羅を一夜で仕上げたとの伝説が残る中将姫の座像=写真㊤=も伝わってきた。伊藤順正住職(81)が偶然、像を載せる台座の裏に江戸時代の年号「天保十年十月」(1839年)=写真㊤=が墨で記されてるのを見つけ、200年近く前に像が寄進されたことが分かった。

 中将姫の座像は高さ約40㌢。4㍍四方の巨大な絵図とともに、毎年3月の「かんべの寝釈迦(ねじゃか)まつり」に合わせて公開されてきた。今夏、県総合博物館(津市一身田上津部田)で展示された後、返却された。伊藤住職が偶然、台座の裏を見て文字が記されていることが判明し、びっくり。観音寺は江戸時代中期から明治維新まで地元の神戸藩主だった本多家の菩提(ぼだい)寺。藩主は「徳川四天王」の流れをくむ名門。家臣らも檀家になっており、3人の家臣らが「施主」となって京都の仏師に像を作ってもらい、寺に寄進していたことが記されていた。伊藤住職は、まず白子地区の商人らが絵図を寄進し、その後、座像が贈られたとみている。当時は、11代将軍、徳川家斉の時代。天保の大ききんで社会情勢が不安定だったころで、世の中が安定するよう願いが込められていた可能性もあるという。

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