戦後80年 「軍都」と呼ばれた三重県鈴鹿市 戦争の記憶をどう継承 市議会で議論

【鈴鹿海軍航空隊の正門。市民有志らが運動をして保存された。今も市内のあちこちに戦争遺跡が残っている=鈴鹿市南玉垣町で】

 第二次世界大戦中、三重県鈴鹿市には軍事施設が多く立地し、「軍都」と呼ばれた。施設の一部は、今も市内に数多く残っている。今年は戦後80年。こうした「戦争遺跡」を、どう活用するのか、3月7日の市議会で山中智博議員(新緑風会)が取り上げた。

 鈴鹿は1942(昭和17)年、軍部の働きかけで、農村や宿場町の14町村が合併して発足した。鈴鹿海軍航空隊(南玉垣町付近)、鈴鹿海軍工廠(こうしょう、庄野地区)、北伊勢陸軍飛行場(広瀬町一帯)、陸軍第一気象連隊(石薬師町)が拠点を置き、その関連施設を含めて市域の1割に上ったとされる。戦後、跡地はホンダ鈴鹿製作所などの工場や大型ショッピングセンター、県立石薬師高校に転用され、現在の「工業都市」を形づくるきっかけとなった。

【住民によって保存、管理されている鈴鹿海軍工廠の銘板=鈴鹿市大池町で】

山中議員は、今後、改修が見込まれる市立図書館など既存の公共施設を利用して「戦争の記憶を語り継ぐ場所を設けることはできないか」と提案した。市側は「施設ではなく、冊子やデータでの記録保存をしてきた」と従来の保存、活用方針を説明した。ただ、2012年に戦争体験者100人にインタビューした市作成の「鈴鹿の記憶―戦中・戦後の証言と資料―」(1冊2000円)を今後、電子化して公開し、戦後80年に合わせ夏に市が開催している「平和への祈り展」を拡充する方針も示した。

 市内では、陸軍の飛行機の格納庫「掩体(えんたい)」(三畑町)が国の登録有形文化財になっているが、ほかに文化財に指定されたものはない。市は「着弾場のコンクリート壁や火薬庫跡など(存在を)把握している」としたものの「管理は所有者らに行ってもらっている」と行政が関与しないことを強調した。戦争遺跡について、山中議員は「立派な経営資源」とし、鈴鹿独自の魅力を再認識してほしいと訴えた。(酒井直樹)

 【鈴鹿海軍航空隊への出入りを見張った番兵塔。桜の森公園の一角に保存されている=鈴鹿市南玉垣町で】

 

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