江戸後期、三重県鈴鹿市の白子(しろこ)浦から千石船「神昌丸」が出航した。遭難してロシアに流された後、10年がかりで帰国した船頭の大黒屋光太夫(こうだゆう、1751〜1828年)。鎖国下の日本で初めてロシア事情を見聞して帰国した数奇な体験は、作家の井上靖さん(1907~1991年)が1968(昭和43)年、小説「おろしや国酔夢譚(すいむたん)」を書き上げ、映画化されて広く知られるきっかけとなった。その後、作家の吉村昭さん(1927~2006年)も晩年の2003(平成15)年、小説「大黒屋光太夫」にした。なぜ2人の人気作家が、まったく同じテーマの作品を仕上げたのか。地元に残る史料から、その謎を解き明かす特別展「吉村昭『大黒屋光太夫』をめぐる旅ー史料から紡(つむ)がれる世界」が1月23日、鈴鹿市若松中1丁目の光太夫記念館で始まった。
昭和中期に書かれた井上靖さんの「おろしや国酔夢譚」では、光太夫らは帰国後、ずっと江戸にいて、生まれ故郷の若松地区に帰郷できなかったとされる。一方、35年後の平成中頃、吉村昭さんによる「大黒屋光太夫」は、里帰りの場面が描かれている。吉村さんは詳しい調査に基づく漂流者の物語がライフワーク。随筆集「わたしの普段着」で「先輩作家の井上靖氏が、『おろしや国酔夢譚』と題する小説を文芸誌に連載し、私の執筆対象から去っていた」と振り返っている。「他の作家が書いた素材の小説を書く気は毛頭なく‥」とも述懐。それが一転して、光太夫を取り上げることになった動機にも触れ、光太夫と一緒に帰国して故郷の若松地区に一時、里帰りした乗組員の磯吉からの聞き書き「極珍書(ごくちんしょ)」「魯西亜国漂舶聞書(ろしあこくひょうはくききがき)」を、地元の顕彰会関係者からもらったことを挙げている。ともに当時、新発見の古文書。今回の展示では、吉村さんが地元関係者に送ったお礼や近況を知らせるはがき3枚を特別公開した。
吉村さんの随筆と小説の貴重な草稿も公開した。吉村さんの妻で作家の津村節子さんから、市が譲り受けた自筆の下書き。1986(昭和61)年に偶然、地元で発見され、光太夫と磯吉の里帰りや、伊勢神宮を参拝したことが初めて判明した市指定文化財の古文書「帰郷文書」も展示した。2人の作家が基礎資料にした市所有の「北槎聞略(ほくさぶんりゃく)」は、光太夫から船の遭難やロシア情勢を詳しく聞き取った内容。こうした所蔵史料のほかパネルなど計40点近くを並べている。担当の学芸員は「史料から、いかに小説の世界がつむぎだされたのか、歴史と文学の世界を知ってほしい」としている。2月13日午後1時半からは、担当の学芸員が解説する。記念館は入場無料。特別展は3月16日まで。休館日は月曜(休日の場合は開館)、火曜、第3水曜日。
17人の乗組員のうち、生きて江戸にたどり着いたのは光太夫と磯吉の2人だけ。ともに若松地区出身だけに、地元には多くの歴史的な史料が残り、記念館一帯には、ゆかりの地がある。現在でも新たな古文書が見つかっている。一行の漂流、帰国は、鎖国下の江戸幕府が「開国」した1854(安政元)年の日米和親条約や、翌年の日魯通好条約の締結に60数年、先立つ出来事。光太夫らを北海道に送り届けるのを名目に、ロシア側は国交樹立を狙ったが、実現しなかった。帰国後、初めてロシア事情を見聞した光太夫、磯吉は一躍、「時の人」に。当時の将軍徳川家斉や老中に会ったり、蘭学者の大槻玄沢らと交流したりするなど、江戸で暮らした。(酒井直樹)

吉村昭さんの「大黒屋光太夫」の単行本=鈴鹿市若松中の光太夫記念館で

井上靖さんの「おろしや国酔夢譚」の単行本=鈴鹿市若松中の光太夫記念館で

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