
三重県鈴鹿市の住民組織「石薬師地区明るいまちづくり協議会」が、地域の歴史や文化を冊子「石薬師地区の歴史再発掘Ⅵ」にまとめた。有数の植木産地として知られる地元の「鞠鹿野(まりがの)」を特集。雑木林や草原が、なぜ一大産地になったのか。その成り立ちについて、史料をひもとき、解説した。
協議会歴史文化部のメンバー10人が1年がかりで作成に取り組み、江戸時代の東海道・石薬師宿沿いにある小沢本陣が所蔵する絵図や古文書にも目を通した。当時は、かまどの燃料となる薪(たきぎ)を集め、農耕用に飼育されていた牛のエサの草を刈り取る「三ケ村入会の草野」、現在の3地区が共同利用する場所だったことを突き止めた。水に乏しく田んぼでの稲作が難しい原野だったものの、明治時代初めから植木栽培が盛んな愛知県稲沢市などから家族が次々と移住。1878(明治11)年に17戸だったのが、1920(大正9)年には71戸に増え、松や杉、ヒノキの苗木の生産が始まったことを紹介している。
その後、津市一身田町にある真宗高田派本山の専修(せんじゅ)寺の「お七夜(しちや)」(1月)、鈴鹿市神戸の龍光(りょうこう)寺の「寝釈迦(ねじゃか)まつり」(3月)などにも出向いて植木を販売。第二次世界大戦で生産は一時、下火になったが、冊子では戦後の高度経済成長、バブル経済で躍進した歴史を記した。植木の栽培は鞠鹿地区から付近一帯に拡大。ともに最初の東京五輪(1964年)、大阪万博(1970年)でのサツキやツツジの大量出荷で「三重サツキ」が有名になり、地域がうるおった。冊子には江戸時代の鞠鹿野の絵図、牛が荷車を引く大正時代の白黒写真、1985(昭和60)年に植木農家の有志らが建てた「植木発祥の地」のカラー写真なども載せた。A4判31㌻で、このうち半分を特集に充てた。
石薬師地区をはじめ三重県北、中南勢、伊賀地方、滋賀県を中心に、漬物にして食べられている日野菜の歴史なども取り上げている。1000部を作り、地元の市民センターや佐佐木信綱記念館、石薬師寺で無料配布している。同じ冊子は6冊目。これまでに江戸幕府を開いた徳川家康が堺市から本拠地の三河に逃げた「伊賀越え」の際、石薬師を通ったとする「新説」などを紹介した。(酒井直樹)

40年前に植木農家の有志らが建立した碑=鈴鹿市石薬師町鞠鹿野

今から約100年前の鞠鹿野(「石薬師地区の歴史再発掘Ⅵ」から)

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