かつて東大寺(奈良市)に存在した七重の塔は、約30階建てのビルに相当する高さ100㍍近くという説や、約70㍍との説もあり、論争が続いてきた。奈良文化財研究所(奈文研)が史料を詳しく調べると、70㍍ほどだった可能性が高いことが判明。2月23日、三重県鈴鹿市国分町の市考古博物館で奈文研の研究者が最新の研究成果を披露し、100人近くが聞き入った。世界遺産の東大寺は、博物館に隣接する国史跡「伊勢国分寺跡」と深い関わりがあり、市が研究者を招いた。

この塔は、「奈良の大仏さん」が入る大仏殿(金堂)の脇にあった東塔。奈良時代に建てられ、平安時代末期に平氏の「南都焼き討ち」で焼けてしまった。創建時の高さは、板状の「大仏殿碑文」に記されていたが、同時に焼失。このため、大仏殿碑文を元史料とし、手作業で書き写された数多くの写本で伝えられてきた。ところが、写本によって「33丈8尺7寸」(1尺=295㍉、約99・9㍍)、「23丈8寸」(約68・1㍍)などと高さの記述が異なり、明治時代から100年余り、約100㍍か、それとも70㍍ほどか、研究者の間で論争が続いてきた。
奈文研の山本祥隆主任研究員が、こうした写本を調査。平安時代の「朝野群載」の写本は、江戸時代後期の本居宣長門下の国学者、伴信友が23丈の記述を、33丈に直すなどし、その後、33丈説の根拠となっていたことが新たに判明した。発掘調査の結果からも高さ23丈(約70㍍)の結論が導き出され、長年の論争に終止符を打つ研究成果として注目されるという。この結果、東塔は30階のビルが21階建て相当に「低く」なる。しかし、創建時から当時の姿のまま残る国宝の薬師寺東塔(約34㍍、奈良市)を倍近く上回り、当時の平城京一帯でひときわ威容を誇り、「奈良タワー」のような存在だったことになる。奈文研は研究成果を「東大寺東塔の復元研究」としてインターネットで公開している。
国分寺は、741(天平13)年に聖武天皇の勅命で、全国の国ごと70カ所近くに建てられ、東大寺は中心となる総国分寺。発掘調査で伊勢国分寺跡にも七重の塔とみられる遺構が見つかっている。(酒井直樹)

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